5兎追って5兎と仲良くなる

元大手企業の既婚無職が「世界全員アーティスト化計画」を実現するまでの記録

人間は何に心を動かされるんだろう

 

美しい自然を見て思った。

 

シダ植物が美しくて、

大きな岩が美しくて、

倒れている大木が美しくて、

それに苔が生えていて、

それがまた美しくて。

 

でも、これは誰も狙った美しさじゃなくて、

しかも、

倒れた木なんていうのは、

 

資本主義がメインとなっている社会では、「敗者」

 

それを美しいと思うの何でだろう。

 

そもそも、何を「美しい」と思うんだろう。

 

儚さなのか、

それがまた生まれ変わる強さなのか、

 

川の流れとかも、

ただただ、

ただただ流れているのに、

 

何でそれをずっと見て、美しいを思うんだろう。

 

そこにはきっと、ものすごい情報量があって、

それを読み解いているから、

ずっと見ていられるのかな?

 

それとも、ただ、「快楽」として、

それを見ているのかな?

 

大きさとか

ゴツゴツ!

とか、

 

むしろ、

祇園で表せることは

実は直感的で、

右脳的で、

感性的で、

正しいのかな?

 

その祇園という音も、

確かに、想像力を働かせる

情報量が含まれているね。

 

 

あと、今回奥入瀬渓流を裸足で歩いた。

 

感じたことは、

常に足の裏の触覚を働かせられた。

 

元の自然の土は気持ちいいのに、

人間が「靴を履いている人」に歩きやすくした砂利は痛かった。

 

これは人間のことだけを考えた砂利だな、と思った。

 

今世界平和が大事だけど、

それはきっと、人間だけじゃなくて、

宇宙と調和をするのならば、

 

人間だけでなく、

動物、

植物、

石、

などすべての自然との調和が

 

平和の最終形態で、

そうすることが、

宇宙の解明に、

案外つばがるんじゃないかな?

 

そんなことすら思う、奥入瀬渓流だった。

 

あと、人間は芸術で表現しようとしているのは、

究極はこの自然と宇宙なんだと思う。

 

それを創る

 

いわゆる、神

または宇宙の創造を目指しているんじゃないかな

 

つまり芸術は、

宇宙の解明を感性でしているんだと思う。

 

濁流の中にある大きな岩の上に、

なぜか気が乗っている。

 

何で?

どうやって?

どうやってその石の上にたどり着いて、

バランスよく乗ったの?

 

それにはすごく深い歴史があって、

すごく深い情報量がある。

 

その歴史はただ一つ、

たまたま人間の「常識」にとって、

不思議な出来事であるけど、

宇宙からしたら不思議とかそういうのはなくて、

 

ただただそういうものなんだと思う。

 

ただ、人間として、

そう考えるようなきっかけを与えた

というのもまた、

その気が生み出したご縁であって、

 

奇跡やご縁を生み続けるこの宇宙が素敵で美しくてたまらない。

 

 

 

ただただ、

写真もなく擲り書きをしたけれど、

これが今日、大自然の奥入瀬渓流を歩いて、

感じた。